2014年02月09日

東大寺の大仏さ〜ん!

8日、全国的に大荒れの天気に襲われました雪
首都圏では大雪でしたが、関西ではまあまあ降った程度…

日頃、雪が積もらない太平洋側でも一時、道路も真っ白に!
公園や草が生い茂ったトコでは雪だるまがまたもや降臨。
ただ、ちょいと小さめ…


せっかく、雪が降ったので“雪見”雪奈良まで行ってきましたわーい(嬉しい顔)




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 『東大寺』



奈良と言えば、大仏さん!

大仏さんと言えば、東大寺!


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ほぼ雪が溶けてしまった東大寺を始め、奈良公園周辺です。

雪が消滅すれば、奈良のシンボル・大仏を拝むコトへ。


いつ以来でしょうか?
遠足?何かしらのデート?

覚えてないなぁ〜



ありがたいお顔をご覧下さいませ!




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聖武天皇の祈願で造営された、奈良の大仏。



その頃の想いが詰まった現在の奈良の大仏。



その柔和な表情に手を合わせることで幸せが降り注ぐかのようですわーい(嬉しい顔)




身近だからこそ、なかなか参拝しなかった!?奈良の大仏さん。


ちょっと足を伸ばせば、幸せな顔が拝見できます。

エエことがすぐそこに待ってますよ手(パー)





そして、奈良と言えばアレでしょう目

そう、奈良=アレ。



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8日午前中のニュース映像では雪の奈良公園を駆け抜ける鹿が映ってました。

それを見たかったのです…



奈良=鹿



神の使いである、奈良の鹿。

これもまたありがたいんですよ〜わーい(嬉しい顔)




その帰り。
御神酒…ではなく、駅ナカでありがたい立ち飲みを頂きましたビール

ラベル:奈良市 大仏 鹿
posted by ひとし at 23:26| 京都 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 神社・寺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月05日

吉田神社・節分祭りクライマックス!『火炉祭』

3日夜23時。
吉田神社・節分祭のクライマックス!


 「火炉祭」



へ、行って来ました手(パー)

本殿三ノ鳥居前に直径5b、高さ5bもの巨大な八角柱形の火炉が設けられています。
古いお札などが納められ、浄火を点じ焼き上げます。

これがまた!神秘的!
燃え上がった様子から逆再生でご覧頂きましょう!!!



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天にも昇る炎は、新春の訪れを告げると地元民は信じています手(パー)


同時に、この炎は無病息災を授けて下さる、ありがた〜い炎。


近くにおられた外国の方はブラボーーーっ!叫んでおられましたね〜
炎を操る祭りが多いのも日本の特徴でしょうか???


吉田神社の節分祭に参拝すると気分が和やかになると小生は信じています。

なぜ?って。
一度、仕事で参拝できなかった時、もやもや〜とした思い出が…
後日、参拝すれば、スカーーっ!としたんでね。



これはあくまでも個人の感想です。
ご了承下さい。


posted by ひとし at 23:31| 京都 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 神社・寺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月03日

吉田神社節分祭

節分です。
節分はやはり!吉田神社に行かなければ!!!


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小学生…いや、幼稚園の頃から参拝していた吉田神社の節分祭。

2日日中から夜に掛けて、境内は赤鬼さん、青鬼さん、黄鬼さんが闊歩します手(パー)


写真撮影に応じ
子供を散々、泣かし
酒臭い息を放ち


お疲れさまです。。。



ちなみに…

赤鬼は「怒り」
青鬼は「悲しみ」
黄鬼は「苦しみ」


を表しているとか手(パー)



吉田神社の一番奥に鎮座される大元宮。
大元宮は日本全国八百万の神々が祀られています。

吉田神社のパワーは大元宮にある!と言っても過言ではないでしょう!



さて、このあと午後11時から火炉祭が執り行われます。
古い神札が納められた高さ5b、直径5bの火炉。

盛大にお炊き上げするその風景は圧巻!!!


ほな行ってきま〜すくつ



posted by ひとし at 22:36| 京都 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 神社・寺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月17日

惹く、伊奈波神社。

稲葉山城、岐阜城のお膝元に鎮座されています手(パー)




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 『伊奈波神社』



御祭神は五十瓊敷入彦命。
景行天皇14年に創建と伝えられその後、戦国大名・斎藤道三が稲葉山に築城するにあたり現在地に遷座されました。




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天武天皇が壬申の乱の際に戦勝祈願したや斎藤道三が戦勝祈願したことにより勝負の力を与えて下さることで崇敬を集めています。

本殿前には“パワースポットの一つとして紹介されました”の大きな看板。
んー、パワースポットの議論はさて置き、手を合わせるきっかけになればと小生は想っています。

境内はすでに正月モードが着々と進められています。
“初詣”と一つの文字が一畳や二畳もあるかと感じるほどの垂れ幕が用意されていました。



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来年は午年。
光り輝く神馬はもう待ちきれない!とダッシュしそうですグッド(上向き矢印)



背後の稲葉山と荘厳な神殿に惹かれて参拝した伊奈波神社。
長良橋通りを歩くとなぜか足が止まった参道入口。
ふとその先を見れば見るほど、引き込まれ、いつの間にか足を運んでいた桜並木の参道。

岐阜市内が本殿から一望できるその景色も是非、楽しんで参拝してくださいなわーい(嬉しい顔)





さて、その稲葉山頂上に本拠構えた斎藤道三と織田信長。

山を眺めれば…



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見えました???



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 岐阜城



濃尾平野を見渡す地に佇む重要な地、岐阜。
稲葉山からの眺めはさぞかし良いことでしょう。

ここで天下のことでも考えますか?
高いトコに上れば上るほど、国家安泰のことを想像するのでしょうか?
んなら議員さんよ、どうぞ!とかねー



さらにその上には…



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爆音を響かせ戦闘機が訓練中。。。


航空自衛隊岐阜基地が近くにあるためひっきりなしに戦闘機が飛び交います。
これはこれで新鮮…いや、爆音に鳥たちが飛び立ちます。


五感を驚かせる岐阜でした耳



ラベル:岐阜市 神社
posted by ひとし at 23:42| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 神社・寺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月15日

赤穂義士の遺髪を埋葬した“瑞光院”旧地

12月14日は赤穂浪士が仇討ちに入った日として知られています。
赤穂浪士が潜伏していた京都には様々な地域で縁があり今に伝えられています。

代表的な祭りは山科・義士祭り。
約200人が毘沙門堂を出発し大石神社まで約5.5qの道のりを練り歩きます。


その山科の地に大石良雄をはじめとする赤穂四十六義士の遺髪を埋葬した塔があるお寺があります。


 “瑞光院”


元禄初期に当院第三世陽甫和尚が播州浅野家長矩夫人・瑤泉院と族縁にあたることから浅野家の祈願寺となりました。
その後の忍傷事件後、供養塔を建立。
討ち入り後は遺髪が寺内に葬られました。



現在は山科・毘沙門堂の南側にある瑞光院。



山科には戦後、1962年(昭和37年)に移転。
その前は…



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堀川紫明を下がったトコロに石碑が残されています。


この地は京都御所の北にあたる地。
近くにはお寺が点在し、また天皇陵や火葬塚、船岡山が近くにあります。
京都全体を俯瞰してもそれ相応な地にあったお寺であることが推測されます。


山科へ戦後移転した理由は定かではありませんが、堀川通りの拡張に絡んでいるのでしょうか。


ただ、史実として!
堀川紫明の地に、仇討ちを成し遂げた義士の遺髪が安置されていた。

京都においてもその忠義を評し、支持し、弔っていたことからいかに当時の世相に影響を与えたか容易に推察できます。



どちらかの肩を持ちたくなりますが…


貫き通す堅い主従関係は時代を超えて感動を伝えていますわーい(嬉しい顔)



posted by ひとし at 23:00| 京都 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 神社・寺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月09日

本隆寺、瓦の壁から…

上立売通りをぶらぶら行けば、浄福寺通り辺りで特徴ある土壁を発見exclamation



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瓦が羽目込められた土壁。


波打った瓦や丸みを帯びた瓦がそれぞれの列で構成されれば、趣ある壁が構築される。
エエ感じのデザインではないですか〜グッド(上向き矢印)


て、どこぞの敷地なのでしょう?


お寺??個人宅??

と、壁沿いをぐるりと回ると………




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 法華宗真門流総本山『本隆寺』



智恵光院五辻上ル、西陣の地にある本隆寺。

開祖・日真大和尚が1488年(長享2年)に妙顕寺を出て、四条大宮に本隆寺を開創。
1542年(天文11年)春、現在の地を得て再興されました。



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本隆寺は度々、大火に見回れるも本尊は無事、さらに本堂も免れ“焼けずの寺”としての異名がつくようになったそうです。


また、境内には西陣五井の一の名水を持つ「千代野井」。
上人が夜泣きを続けている乳児を抱いて題目を唱えながらこの松の木を回ると不思議なことに泣き止んだとされる「夜泣き止の松」等々があります。


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注意:「夜泣き止の松」ではありません。



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南門は開かずの門。
つまり、勅使門。


正門は東側の智恵光院通りの山門にあたります。


西陣の中心地に広い境内の本隆寺。
静寂に包まれた境内で伝説が今に伝わる旧跡に出会えた壁に感謝です手(パー)



ラベル:京都市上京区
posted by ひとし at 23:45| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 神社・寺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月06日

樹齢千年の大きな楠 〜阿波国一宮・大麻比古神社



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阿波国一の宮『大麻比古神社』



徳島県鳴門市に鎮座される神社です。
御祭神は大麻比古神。

阿波国と淡路国の総鎮守・産土神として信仰を集めてきました。

神社前には坂東谷川。背後には奥宮が鎮座される大麻山を控える素晴らしい風景に心惹かれますわーい(嬉しい顔)



今は七五三のシーズン。
境内には多くの家族連れで賑わってます。




そのような参拝客をも温かく見守る御神木が神殿前に広がってます晴れ




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 御神木の楠



樹齢約1,000年とされる楠。

幹周り8.3b。
高さ22b。

鳴門市の天然記念物に指定されています。




生命を、広がりを、温かさを、豊かさを感じるクスノキ。

ただそこにあるだけ。
そこを眺めるだけで、なんとなーく落ち着きますわーい(嬉しい顔)



長くその地に鎮座されている理由が楠からも伝わる大麻比古神社です。



posted by ひとし at 23:09| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 神社・寺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月03日

梨木神社マンション計画報道後の境内

京都御所東側に鎮座され、“萩の神社”として有名な『梨木神社』


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ピークは過ぎましたが、穏やかな雰囲気が漂う境内でほっこりしますわーい(嬉しい顔)
今日も梨木神社に湧く名水・染井の水には美味しさに惹かれた方々が多く水を汲み持ち帰られていました。



さて、梨木神社に関するニュースが先日全国ネットでも報道されていました。

■梨木神社境内にマンション計画 京都御苑の東隣
 京都御苑の東隣にあり、ハギの名所として知られる梨木神社(京都市上京区)が境内の土地を業者に貸し、マンションの建設計画を業者が進めていることが10日、分かった。同神社は「本殿などの改修費用を借地料収入で確保する」と説明している。
 計画では、境内約8100平方メートルのうち、参道があり、駐車場として使っている南側部分約2100平方メートルを、下京区のマンション開発業者に60年間の期限付きで貸す。業者は地上3階(最高部は13メートル)と地下1階で、35室の分譲マンションを建設し、2015年に完成する予定だ。
 梨木神社は昨年、所属する神社本庁(東京都)に建設計画を伝えた。しかし、参道上に建設し、御所に近いため承認を得られず、同庁を離脱した。
 市によると、現地は高さ15メートル以下ならマンションなどを建設できる地域。都市計画法に基づく歴史遺産型美観地区のため屋根や軒の設置が必要で、周辺と調和した色合いにしなければならない。市眺望景観創生条例で京都御苑から見える眺望を建造物で阻害しないよう求めている。
 梨木神社は1885年の創建。王政復古を唱え、明治維新の原動力となったといわれる三條実萬・実美の父子を祭神としてまつる。
※京都新聞電子版9月11日より

小生にも衝撃的な報道でした。
見る人によっては京都御所の一部としても見られる梨木神社。
その境内南側、現在の駐車場一帯にマンションが計画されています。

報道後、初めて参拝と拝見してきました手(パー)



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一の鳥居と二の鳥居の間の駐車場が予定地です。

緑に囲まれた閑静な境内です。


鳥居すぐ西側には…


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京都御苑清和院御門。


これほどの至近距離にマンションが計画されているとの驚きを新たに感じ取ります。



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鳥居近くの参道を現在、整備中。


よくよく見れば…



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予定地方向への参道の整備はせず。


“丁字路”が神社の方針を示しているかのようです。



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参道沿いの萩は撤去され、着々と準備が進んでいます。



近所では反対の声が上がっているも、周辺には幟やポスターは見受けられませんでした。

一方、京都市議会は2日に自民党や共産党など与野党共闘で中止も含めて事業者と協議するよう市に求める決議案が賛成多数で可決されました。

宮司さんは決議案に対して粛々と計画を実行すると取材で答えておられました。



神社の存続には多額のお金を要することは事実です。
確かに境内をどのように運営するのかは自由でもあります。

マンション建設以外の道は果たしてないものなのでしょうか?

と、素朴に想います。


双方が納得する結論が出ることを切に願い、行方を注視したいと想います手(パー)




posted by ひとし at 17:46| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 神社・寺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月26日

琵琶湖に浮かぶ鳥居 〜白髭神社

湖西を走る、国道161号線。
眺めがよい琵琶湖畔を走ると突如、現れます目



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 『白髭神社』



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御祭神は猿田彦命。

全国の白鬚神社総本社。
近江国(滋賀県)最古の神社と称されています。


琵琶湖に浮かぶ鳥居で有名な神社です。
鳥居奥に見えるのは琵琶湖で唯一人が住み、琵琶湖内最大の島である“沖の島”

琵琶湖は京都と北国や東国を結ぶ湖上交通が発達した重要な要所でした。
もしかして、古の人々は舟で鳥居をくぐり参拝したのでしょうかねー?


境内は琵琶湖畔ぎりぎりまであり、その昔は街道を護る神社としても信仰を集めていました。


御由緒は第11代垂仁天皇の御代とされています。
674年、天武天皇の勅旨により比良明神を賜ります。
現在の本殿他は豊臣秀吉の子、豊臣秀頼が秀吉の遺命で寄進、造営されました。
 ※ちょっと穿った味方で徳川家康が豊臣家の莫大な財産を減らすために寄進を進めたとも言われている一環で有名。

桃山時代の建築様式が色濃く反映された檜皮葺き入母屋造は一見の価値アリでしょうグッド(上向き矢印)


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境内には室町時代に造営された建物が残っているなど、地元の領主からも厚い信仰を受けていたのがよくわかります。




京都と北陸を一般道では最短で結ぶ国道161号線すぐに建つ、白髭神社。
一度、通過すれば湖中鳥居は忘れられない風景です。

小生が参拝したときも若者グループや家族連れなどなど多くの参拝の方がいらっしゃいました。

湖中鳥居は拝殿真っ正面で、琵琶湖畔まで降りられる階段も設置されています。
しかしながら信号機や横断歩道がない国道161号線を横断しなければならないので、十分に注意を払ってください。


もし、湖中鳥居をくぐりたい!のであれば情報を提示しましょう手(パー)

国道端より距離は58.2b沖。
高さは湖面より約12b、柱幅は7.8b。
水深は不明。

くれぐれも無理をされないように。



ドライブの際に交通安全の神様でもいらっしゃいますので是非、御参拝くださいな!
境内の駐車場は無料です!


posted by ひとし at 14:49| 京都 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 神社・寺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月15日

“敵国降伏”〜福岡『筥崎宮』で運が付く“湧出石”

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いざ、九州へ!


午前6時前、関門橋・壇ノ浦パーキングエリア。
連休を利用する旅行者が意外に多く、パーキングはほぼ満車!
自家用車からツーリング、博多方面行きの高速バスは時間調整の一時休憩。


関門橋を眺める人達は関門橋を眺め、対岸の九州へ想いを馳せるばかりるんるん
もちろん小生も!


早朝にも関わらず、関門海峡を行き交う船舶は多く、船舶信号も活躍してます信号


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関門海峡の潮流は最大時速約18`船
大型船でも逆行する場合はなかなか前進せず、波飛沫を上げながら踏ん張っている姿にどこか感動。

やっぱり京都の民は潮風を嗅ぐとテンションが上がります右斜め上




そして、福岡市内へ手(パー)



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 『筥崎宮』


筑前一之宮であり、京都・石清水八幡宮と大分・宇佐神宮と並び三大八幡宮の一つ。

御祭神は応神天皇、神功皇后、玉依姫命。

御由緒は
古録によれば、平安時代の中頃である延喜21年(西暦921年)、醍醐天皇が神勅により「敵国降伏」の宸筆を下賜され、この地に壮麗な御社殿を建立し、延長元年(923年)筑前大分宮より遷座したことになっております。創建後は祈りの場として朝野を問わず篤い崇敬を集めるとともに、海外との交流の門戸として重要な役割を果たしました。
鎌倉中期、蒙古襲来(元寇)のおり、俗に云う神風が吹き未曾有の困難に打ち勝ったことから、厄除・勝運の神としても有名です。後世は足利尊氏、大内義隆、小早川隆景、豊臣秀吉など歴史に名だたる武将が参詣、武功・文教にすぐれた八幡大神の御神徳を仰ぎ筥崎宮は隆盛を辿りました。江戸時代には福岡藩初代藩主黒田長政、以下歴代藩主も崇敬を怠ることはありませんでした。
※筥崎宮サイトより


筥崎宮を挟んで9月12日から18日にかけて博多三大祭の一つ、放生会が行われています。
約1`の参道にはびっしりと屋台が約100軒!
早朝に参拝したのでどこか祭りの余韻と次の日への期待感が漂ってます。


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さてさて、筥崎宮御由緒に記されていた「敵国降伏」

国の重要文化財である“楼門”
1594年、小早川隆景が建立。檜皮葺が天へと大きく反る魅力的な楼門です。
この楼門にその扁額が掲げられています。


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 「敵国降伏」


醍醐天皇が納め、その後の天皇も幾度か納められました。

元寇で炎上した社殿再興の折、亀山上皇が納められました。
神門に祈願し、二度目の元寇を撃退したことで海上交通・海外防護の神として信仰を集めています。

現在の文字は小早川隆景が造営の際、謹写拡大したものです。





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 『石造一ノ鳥居』



国の重要文化財である石造一ノ鳥居。
1609年に黒田官兵衛の息子、福岡藩初代藩主・黒田長政が建立。

この鳥居、本殿側から眺めると…


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この鳥居の柱は三段に切れ、下肥りに台石に続いています。笠木島木(かさぎしまぎ)は1つの石材で造られ、先端が反り上がり、貫と笠木の長さが同じ異色の鳥居であり、「筥崎鳥居」と呼ばれています。

催事のため、参拝から出る際にあれ?と感じればユニークな鳥居との出会い。
世の中には多くの種類がまだまだ存在します。




さらに境内には…


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 『湧出石』



この石に触れると運が湧き出るとの伝わりがある湧出石。
運気上昇、招福開運を願って多くの参拝者が触れていかれます。


また言い伝えがあり、国に一大事があるとき、地上に姿を現すのだそうです。
えっ!?今はどうなの?

まあまあぐらい?


それよりも湧出石に願いを込め触れました。


このあと当日中に結果が……それは最後に。




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 「蒙古軍船碇石」


肥前から壱岐に掛けて、海中から数多く引き上げられました。
この碇石も博多湾から引き上げられ、歴史的記念物として珍重されています。




無事に参拝を終え、福岡市内の一之宮神社の住吉神社へ。

都心部にも関わらず鎮守の森に護られた住吉神社。

周囲の原生林を眺めながら歩くと力を頂ける…


と、思いきや。。。


むむ?


何やら引っ付き、においを嗅げば…


どーーーーーんどんっ(衝撃)



参道で犬の糞を踏むっexclamation×2




えっ!?

コレが運が付く!?




気分がトーンダウンしたため写真はナシ。



確かにうん○が付いたけど、運が付いたかー。





ラベル:福岡市東区 神社
posted by ひとし at 23:51| 京都 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 神社・寺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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