
いざ、九州へ!
午前6時前、関門橋・壇ノ浦パーキングエリア。
連休を利用する旅行者が意外に多く、パーキングはほぼ満車!
自家用車からツーリング、博多方面行きの高速バスは時間調整の一時休憩。
関門橋を眺める人達は関門橋を眺め、対岸の九州へ想いを馳せるばかり

もちろん小生も!
早朝にも関わらず、関門海峡を行き交う船舶は多く、船舶信号も活躍してます


関門海峡の潮流は最大時速約18`

大型船でも逆行する場合はなかなか前進せず、波飛沫を上げながら踏ん張っている姿にどこか感動。
やっぱり京都の民は潮風を嗅ぐとテンションが上がります

そして、福岡市内へ


『筥崎宮』
筑前一之宮であり、京都・石清水八幡宮と大分・宇佐神宮と並び三大八幡宮の一つ。
御祭神は応神天皇、神功皇后、玉依姫命。
御由緒は
古録によれば、平安時代の中頃である延喜21年(西暦921年)、醍醐天皇が神勅により「敵国降伏」の宸筆を下賜され、この地に壮麗な御社殿を建立し、延長元年(923年)筑前大分宮より遷座したことになっております。創建後は祈りの場として朝野を問わず篤い崇敬を集めるとともに、海外との交流の門戸として重要な役割を果たしました。
鎌倉中期、蒙古襲来(元寇)のおり、俗に云う神風が吹き未曾有の困難に打ち勝ったことから、厄除・勝運の神としても有名です。後世は足利尊氏、大内義隆、小早川隆景、豊臣秀吉など歴史に名だたる武将が参詣、武功・文教にすぐれた八幡大神の御神徳を仰ぎ筥崎宮は隆盛を辿りました。江戸時代には福岡藩初代藩主黒田長政、以下歴代藩主も崇敬を怠ることはありませんでした。
※筥崎宮サイトより
筥崎宮を挟んで9月12日から18日にかけて博多三大祭の一つ、放生会が行われています。
約1`の参道にはびっしりと屋台が約100軒!
早朝に参拝したのでどこか祭りの余韻と次の日への期待感が漂ってます。

さてさて、筥崎宮御由緒に記されていた「敵国降伏」
国の重要文化財である“楼門”
1594年、小早川隆景が建立。檜皮葺が天へと大きく反る魅力的な楼門です。
この楼門にその扁額が掲げられています。

「敵国降伏」
醍醐天皇が納め、その後の天皇も幾度か納められました。
元寇で炎上した社殿再興の折、亀山上皇が納められました。
神門に祈願し、二度目の元寇を撃退したことで海上交通・海外防護の神として信仰を集めています。
現在の文字は小早川隆景が造営の際、謹写拡大したものです。

『石造一ノ鳥居』
国の重要文化財である石造一ノ鳥居。
1609年に黒田官兵衛の息子、福岡藩初代藩主・黒田長政が建立。
この鳥居、本殿側から眺めると…

この鳥居の柱は三段に切れ、下肥りに台石に続いています。笠木島木(かさぎしまぎ)は1つの石材で造られ、先端が反り上がり、貫と笠木の長さが同じ異色の鳥居であり、「筥崎鳥居」と呼ばれています。
催事のため、参拝から出る際にあれ?と感じればユニークな鳥居との出会い。
世の中には多くの種類がまだまだ存在します。
さらに境内には…

『湧出石』
この石に触れると運が湧き出るとの伝わりがある湧出石。
運気上昇、招福開運を願って多くの参拝者が触れていかれます。
また言い伝えがあり、国に一大事があるとき、地上に姿を現すのだそうです。
えっ!?今はどうなの?
まあまあぐらい?
それよりも湧出石に願いを込め触れました。
このあと当日中に結果が……それは最後に。

「蒙古軍船碇石」
肥前から壱岐に掛けて、海中から数多く引き上げられました。
この碇石も博多湾から引き上げられ、歴史的記念物として珍重されています。
無事に参拝を終え、福岡市内の一之宮神社の住吉神社へ。
都心部にも関わらず鎮守の森に護られた住吉神社。
周囲の原生林を眺めながら歩くと力を頂ける…
と、思いきや。。。
むむ?
何やら引っ付き、においを嗅げば…
どーーーーーん

参道で犬の糞を踏むっ

えっ!?
コレが運が付く!?
気分がトーンダウンしたため写真はナシ。
確かにうん○が付いたけど、運が付いたかー。