2013年06月23日

東京都議会選挙から、たかが一票。されど一票。と想フ。

東京都議会議員選挙の投開票が行われています。
1ヵ月後の参議院議員選挙の前哨戦として注目が浴びていると専ら報道がなされています。
開票速報を視聴していると国政与党の自民党・公明党を合わせて過半数がほぼ確実との報道です。

まあー東京都民以外は“なんのこっちゃ”との想いが強いニュースです。
一方で政治を主とされている方は東京都議会議員選挙で占められた議席の割合が国政選挙の議席の配分とほぼ同一となるため注目される選挙となっています手(パー)


ここで小生が注目すべき、憂慮すべき点はココexclamation



 『最終投票率が40%に達するかどうか』



午後6時現在の投票率は前回の時と比べて10%強低くなっています。
都民の関心の低さが表れた結果といえるでしょう。
争点の無さが原因とも、非自民票の受け皿の無さが原因とも言われています。

果たして有権者の行動、候補者の訴えとしてこのままで良いのでしょうか?


小生はこのブログで何度か愚見を表しています。

投票する候補者がいなくても、投票所へ向かい、例え白票でも投票すべき。

硬い組織票を持つ政党にとって、投票率が上昇することは最大の懸案と言ってもいいでしょう。
投票率が上昇すると組織票の比率が減少し、組織票候補者は当選圏内にいる確立が少なくなります。
それこそが本来の民主主義であり、国民の民意といえるでしょう。

現行では国政選挙であっても全国の投票率60%台。
地方首長選挙や議会選挙では都市圏になるほど低下傾向です。
投票率30%台や40%台の選挙は月曜朝刊政治面での地方首長選挙でよく目の当たりにします。
なかには20%台も。

この低投票率の中で多数を占めた当選者が代表として我々の生活に直結した政治を行う。

なぜ、これに危機感を覚えないのか?

夏の参議院選挙後、恐らく自民党が大勝し憲法改正が議論としてさらに浮上するでしょう。
ここで憲法改正には国民投票が課せられ、国民の過半数の同意を要すると謳っています。
ただ、この過半数は総有権者の過半数か、投票総数の過半数かは謳っておらず、
国民投票法では投票票数の過半数と明文化されました。

これが実際の国政選挙と国民投票となり、この低投票率で仮に実施されれば、
たかが国民の少数で選ばれた議員により、国民の少数で賛成された憲法が国の骨格を占めることになるのです。


国民は…
何の判断で投票すればよいの、わからない。
たかが一票入れても変わらない。


これは国民が単なる愚かで放棄したことに過ぎないのです。
国民は健全な判断を行えるのが前提であり、性善説で規定されているのです。

我々の祖先が勝ち取った普通選挙。
戦後68年で簡単にこの権利を放棄してよいのか。
成長することで愚かになったのであれば今一度、原点に強制的に戻るべきなのか。

気付けば遅かった。

と、ならないように投票を喚起することを候補者も国民も考えるべき今日だと小生は想います。



たかが、一票。
されど、一票。


ラベル:政治 選挙
posted by ひとし at 23:03| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 想フコト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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