

『茨木城 搦手門』
お城の表玄関にあたるのが大手門。
その裏口にあたるのが『搦手門』と呼ばれます。
現在は茨木市役所近くの茨木神社境内東門に移築され保存されています。
茨木城は鎌倉幕府倒幕に名を挙げた楠正成により築かされたと伝わります。
その後、城主は茨木氏や戦国時代に活躍した中川清秀、豊臣氏陪臣・片桐且元が治めていました。
江戸時代になると一国一城令により摂津高槻城が残り、茨木城は取り壊しの運命をたどりました。
茨木城は現在の茨木小学校にあり、現存は搦手門と小学校に復元された櫓門、さらに城防御による丁字路を多用した道のみです。
茨木城搦手門が移築され保存されている茨木神社。

市内中心部に鎮座されるも緑多く都会のオアシスです。
創建は807年。
坂上田村麻呂が茨木の名前の由来である荊切の里を作った際に創建されたとされています。
御祭神は建速素戔嗚尊。
治めた領主や領民の信仰を集めていましたが一度、存続の危機に!!!
織田信長が天下布武を謳い進めている上で、
「天照大御神、春日大神、八幡大神、牛頭天皇(素盞嗚大神)の諸社は焼くべからず」
と発令したので茨木神社は牛頭天皇を祀ると詐称して焼却を免れたと伝えられています。
その後、素戔嗚尊を実際に合祀しました。
神社存続のためにはまさしく!
神にもすがる思い
の決断があったのでしょう

京都と大阪の中間地で戦略的重要な地域であったからこその経緯が茨木神社境内に詰まっています
