2013年07月02日

奈良時代に架橋の記録!泉大橋と、お茶の故郷・山城町上狛地域

奈良時代から架けられている伝統ある“名橋”と言っていいでしょうわーい(嬉しい顔)




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京都府南部、木津川市旧山城町と旧木津町を結ぶ

 『泉大橋』




歴史は長く、架けられたのは740年か741年とされています。

架橋指揮は奈良時代の大僧正・行基。

聖武天皇が平城京から恭仁京へ遷都する際に橋が3つほど架けられたことが起源です手(パー)

しかしながら、都が完成する前に近江紫香楽宮、大津宮、難波京、そして平城京へと戻るに至ります。


その後876年に洪水で橋が流失。
明治時代に至り1877年に架橋されるまでは渡し船で往来があったそうです。

現在は京都と奈良、和歌山を結ぶ国道24号線の橋として物流を支えています車(セダン)



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泉大橋のすぐ東側には木津川橋梁電車


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木津川の普段の流れから、洪水がなかなか想像できません。

6月から木津川では釣りが解禁され、穏やかな日和の下、楽しまれている姿も目


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さて手(パー)
泉大橋の北詰、木津川市旧山城町上狛。

橋を見守る寺院が建立!


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 『泉橋寺』



泉大橋を守護、管理するために建立されました。


門前には…



7. 2 A.jpg



地蔵石仏。

1295年に石材を切り始め、1308年に開眼供養と13年の月日が費やされました。


時代は応仁の乱以後、戦乱に巻き込まれ、お堂が焼かれ現在のようなお姿にへとなりました晴れ





次ぎにお寺周辺を見渡せば、上狛地域は茶問屋街が広がっているんです手(パー)



7. 2 E.jpg



国道沿いには伊右衛門の名で有名な福寿園!

その他にも茶問屋が所狭しと並んで、路地裏などは迷路状態。。。


7. 2 F.jpg


あちこちからお茶のエエ香りが漂ってきますわーい(嬉しい顔)


山城地域のお茶発祥地のとされる上狛地域。



夏。
水で濾す、冷茶が美味しい季節になってきました晴れ




ぶらぶらと回る楽しみは回るほど増幅しますねーわーい(嬉しい顔)


posted by ひとし at 21:48| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | エエとこ〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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