旧山城町を南北に貫くJR奈良線。

1953年(昭和28年)、当時の国鉄が奈良線拡幅改良工事で石室を偶然、発見されたのが…

『椿井大塚山古墳』
破壊が進み全体像は想像域を脱しない状態。
製造は古墳時代初期(3世紀後半)の前方後円墳

古墳の規模は…
全長、約175b
後円部直径、約110b
前方部長さ、約80b
前方部墳端幅、約76b
後円部高さ、約20b
前方部高さ、約10b
と推定されています

椿井大塚山古墳は自然の地形を巧みに利用して造られた前方後円墳です。
実際に体験出来ることが可能なので見学……
いや!登山してきました

JR奈良線で分断されているので後円部を


線路脇の急階段を上ればすぐ!


自然の地形を利用しているのが一目瞭然。
ただ、3世紀後半の製造から今日に至るまで、おぼろげながらも後円部の姿を留めていることに感激します


鉄道改良工事の際に偶然、竪穴式石室が発見されました。
副葬品として重要な発見が!
卑弥呼の鏡とされる三角縁神獣鏡が32面発掘!
さらに中国鏡が4面の36面発掘されました。
ただ、発見された工事の際に破壊や盗難があり、正式な調査があればさらに数が多かったと推察されています。
他にも夥しい数の副葬品が発見されました。
この発見は卑弥呼畿内説の有力な物証として奈良・箸墓古墳を筆頭とする時代に該当し、日本史上注目を浴びる古墳です。
にも関わらず訪れる人は小生のみでひっそりとしています

さて、分断された前方部は…後円部から眺めると………

めっちゃ住宅地やん!!!
そうなんです

調べれば、この古墳部に百年以上住まれているとか。
現在ではボランティアで古墳を後世に伝えるべくボランティアで掃除などの管理を行っておられるそうです。
確かに後円部は草が刈られ、管理状態は非常に良く、見学しやすい状態

頭が下がる想いです。

卑弥呼は畿内か九州か。
この論争に決着次第で大きく存在意義が変わるかもしれない『椿井大塚山古墳』
いずれにせよ、今日までの調査では限りなく日本史上重要な古墳であることは間違いありません。
維持管理&伝えることこそが、我々の役目であると汗をダラダラと掻きながら登山した『椿井大塚山古墳』でした
