

『長谷八幡宮』
旧長谷村、旧花園村、旧中村、旧三宅村の氏神として信仰されてきた長谷八幡宮。
同時に京都御所から北東方向、鬼門を護る国家鎮護の神社としても崇められてきました。
創建は平安時代857年(天安元年)文徳天皇の御代。
正式名称は八幡社。長谷八幡宮は通称名。
御祭神は惟仁親王と仁徳天皇。
惟仁親王とは文徳天皇の第四皇子。
後に清和天皇として即位。清和源氏とは清和天皇から派生する系統。
岩倉地域中心部を南北に走る旧道沿いに一の鳥居。
参道を山裾へ東に進めば並木道、そして朱色の二の鳥居へ。
田園とまばらに住宅地がある静寂な地域。
時折、鳥の鳴き声が響く長谷八幡宮。

境内には天高く聳える古木があちらこちら見られます

苔が境内の静寂と荘厳さを際立たしています


三間社流造りの御本殿。
掲げられている絵馬は古く、色あせ原形をとどめない物まであります。
その中でも鮮明さがある絵馬はコチラ



“明治27年”の扁額まで!!!!

入母屋の拝殿も趣が感じられます


社殿は江戸時代初期、元和の時代に大破。
東福門院(徳川秀忠の娘、後水尾天皇中宮)により再興されました。
なので約400年弱、長谷地域を始め見守り続けています

岩倉周辺を始め、あまり人が訪れない静寂な紅葉スポットがまだまだあります

ちょいちょいご紹介できればと考えています
