2012年05月12日

“雄姿の白馬”&“以仁王陵”

大河ドラマ「平清盛」に乗じた旧跡ですわーい(嬉しい顔)



5.12 B.jpg


井手町と木津川市山城町の市町境に鎮座される『高倉神社』


昨日の和束町からの帰りにふと目カーナビを眺めると神社と史跡のマークが仲良く並んでるのを発見!
木津川の東側土手を走る国道24号線と平行して南北を貫く旧国道の府道70号線。
JR奈良線とほぼ併走するように城陽市から木津川市までを結び、昔ながらの街道であるためさほど道幅が広くない道です。
先ほどの市町境から線路を渡るとすぐに高倉神社鎮守の森が目に飛び込んできます手(パー)



5.12 C.jpg



高倉神社とは…
御祭神は天児屋根命、以仁王。

創建の詳細は不明。
高倉神社は別名・高倉春日社と称しています。
“興福寺領綺荘の地に春日社あり”
ことから藤原氏祖先神の天児屋根命を祀っています。

さらに、以仁王。
以仁王は後白河天皇の第三皇子。
1180年、源氏の勧めで平清盛、平家追討の「以仁王の令旨」を発したコトで有名な御方です。
しかし令旨の情報が平氏方に漏れ、皇族籍剥奪&源性下賜で土佐へ配流が決定。
決定の夜、検非違使が館を襲撃するも脱出し逃げ延びたもの、この地で最期を迎えたと平家物語や源平盛衰記で描かれています。




高倉神社境内で何よりも目を惹くのがわーい(嬉しい顔)


5.12 A.jpg


真っ白な神馬の奉納馬。

おまけに菊の御紋が輝いてます。




さて以仁王がこの地で最期を果てたと記されていることから高倉神社境内、いや!本殿すぐ横に…


5.12 E.jpg


「以仁王御墓」


平家物語によると“光明山鳥居の前での戦死”とされています。

しかしながら以仁王死後も“以仁王の令旨”を受けて源頼朝や源義仲が挙兵し平氏滅亡への糸口になったことは言うまでもありません。


夏以降にでも大河ドラマ「平清盛」で以仁王が活躍するのを楽しみに待ちましょう手(チョキ)



posted by ひとし at 21:43| 京都 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 神社・寺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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