では、最後に築城されたお城はどれでしょうか?

『園部城

京都市と北部・福知山市の中間に位置する南丹市園部町。
その中心部にそびえ立っていたのが園部城です。
園部城は標高173bの小麦山に1619年(元和5年)に完成しました。
但馬出石城から国替えされた外様大名・小出吉親によって誕生しました。
小出吉親の祖父・秀政の正室は豊臣秀吉の母・大政所の妹で秀吉の従兄弟に当たりました。
関ヶ原の戦いでは叔父・秀家が東軍に属していたため所領安堵され園部へ移封されました。
小麦山の小高い地形を利用して外堀・内堀・中堀を設けるも天守閣を築かない陣屋という形で、一般的な“城”ではありませんでした。
ではなぜ、最後に築城なのでしょうか?
徳川幕府が大政奉還後の明治元年、小出氏は新政府側に属していました。
園部は京都に近い要衝の地。
鳥羽・伏見の戦いなどで明治天皇の身辺に危機があった場合に備えて、迎え入れることも想定して大改築に踏み切ることになりました。
改築は…
・櫓門が3ヵ所
・巽櫓や小麦山の三層櫓などの櫓が5ヵ所
ここで立派な“園部城”が完成することになりました。
しかしながらご存じ!廃藩置県のお達しが明治政府から発表。
園部は戦場にならず新政府は落ち着き、改築してから4年で取り壊されることになりました

備えあれば憂いなし

ですが、現存していれば観光スポットとして活躍したのに…
と、感じるのは小生だけでしょうか?
現在は園部高校や公園、市役所、会館など園部中心部として引き続き担っています
