2011年09月19日

水の街 〜北品川から台場、品川へ

東海道新幹線、東海道線、山手線、京浜東北線、横須賀線、京浜急行線が集まる駅。



新幹線品川駅新幹線




将来はリニア中央新幹線の始発駅として、東京のさらなる玄関口として飛躍する駅でしょう。

江戸時代には五街道の筆頭!東海道の宿場町として発展した街です。


品川駅を利用した方は多くいらっしゃることでしょう。


しかし!

品川周辺を歩いている方は意外に少ないのではないでしょうか〜手(パー)



なので!

NHK「ブラタモリ 第1シリーズ第9回目」(2009年12月10日放送)を参考に品川を“ブラえんど〜”です。




品川駅からスタート。

品川駅のマメ知識手(パー)
・品川駅の所在地は品川区ではなく、港区にある。


第一京浜沿いを下ると台地の端に鎮座されている品川神社。

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都内はあちこち坂が出現!

台地と谷が関係しています。

品川神社の参拝する、この階段が谷から台地へ登っている証拠です。



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品川神社の御祭神は天比理乃当ス、素盞嗚尊、宇賀之売命。


海上交通安全の神様として東海道を行き交う人々の信仰を集めていました。



品川神社、参道階段脇に岩が積み上げられた“富士登山”が出来ます手(パー)

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一人がようやく通れる登山道はちゃ〜んと、一合目から九合目までの石碑も設置。


品川神社から品川駅方向を望みます目


9.19 C.jpg





また品川神社の境内外、すぐそこに明治の偉勲・板垣退助のお墓が安置されてます。

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品川は東海道を走るすぐ横はもう江戸湾(現在の東京湾)がすぐそこまで迫っていました。

その名残は地名にも残っています。

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「区立台場小学校」校門横には台場らしき建物。

コレは気象台を模した祈念碑。


台場は8つ造られ、陸上に建設された台場はココ手(パー)

小学校の半分ほどの面積を占めていたようです。

その後気象台が建設され、跡地に現在の区立台場小学校に至ります。




港、漁師町の面影を探してみると〜足

9.19 M.jpg


屋形船を扱っているお店が集まってます。

つり舟も利用され、今も運河を流して東京湾で楽しんでいるんでしょ〜





パンチさてさて今回の最大のポイントはパンチ

品川、特に北品川地域の住宅街には…


「井戸が多く掘られ、今も使われている」トコ手(パー)


路地に入るも見付けられず。また違う路地…ナイ。。。
交番に尋ねると、一つあるよ〜との聞き込みの結果!

ありましたひらめき


区立北品川公園すぐ手(パー)

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道の真ん中に

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またさらに違う路地の中央に

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小泉長屋と呼ばれる地域。

現在も水やりや子供達の遊具として!?愛されている井戸。


「昭和の良き空間」と言えるでしょう手(パー)


都心から電車で10分ほどに長閑な住宅街があるとは、驚きです手(パー)



東京がビルばっかりではなく、

京都が町家ばっかりではない。




北品川あたりから再び品川駅を目指します手(パー)

9.19 L.jpg

品川駅高輪口、第一京浜を挟んだ小さな神社・高山稲荷神社。


ココに“おしゃもじさま”がおられます手(パー)


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「おしゃもじさま」は縁結びの神様として祀られています。
その名の由来はわかっていません。
高輪の台地上にあった石神社が、高山稲荷神社に合祀され、江戸名所図会によれば、石神社のあった場所は“石神横町(しゃくじんよこちょう)”と言われていました。

この「石神横町(しゃくじんよこちょう)」が誤って「おしゃもじさま」と伝わったとされています。



えーーーーーーっどんっ(衝撃)


品川ブラりがこんな形で終わるとはふらふら


このあともまだまだ続く東京巡りですくつ



ラベル:品川区
posted by ひとし at 23:51| 京都 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | エエとこ〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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