この日は年に一回の総会。
役員の承認や決算・予算の審議など一般的な総会です。
その後、ビデオの上映がある!のが小生、一番の目的です。

三条通り(寺町〜新町)を今後、どのようにするのか?どのようにしていきたいか?をテーマに作られました。
三条通りの歴史を建築士の方が解説。
平安京遷都の頃から三条通りは実在し、現在の位置とほぼ変わらないトコにあったそうです。
名称は「三条大路」
“大路”が付くのでメインストリート!
年代によって道幅は異なるも、広かった当時は道幅30bと今の堀川通りと同等か広かったようです

明治になると日本銀行京都支店や毎日新聞、日本生命と金融とマスコミが集結する京都一の繁華街の地位を確立しました。
東海道西の起点・三条大橋に通じることから当然と言えば当然!
これらの建物が重要文化財として現在でもあちこちに残り、今日の三条通りの趣を今に伝えています。
居住している人、商売をしている人、最近移り住んだ&商売した人と様々な方がいらっしゃる三条通り沿い。
協議会では「品のある通り」を目指して、どのような取り組みが必要なのかアンケートや街の意見を紹介されていました。
それぞれの立場でそれぞれの意見が出され、着地点が当然ながら難しい作業です。
ただ一つ感じることは皆さん「三条通りが好きだ!」と

電線地中化。
時間帯による自動車排除。
緑化。
看板の規制。
マナー向上。
等々。
最後に一つの目標が掲げられました。
昨年就任された財団法人祗園祭山鉾連合会理事長が祇園祭山鉾巡行の本来の姿への復活を進めたいとの考えを示されました。
昭和40年まで山鉾巡行は17日に加えて24日に「後祭」として行われていました。
これは山鉾巡行はお神輿が通られる街の穢れを清める意味があります。
現在でも17日に神幸祭で八坂神社から四条寺町へ。
24日は還幸祭として四条寺町から八坂神社へと戻られます。
その前に山鉾巡行「後祭」が行われ、消滅する直前は三条通り、寺町通り、松原通りが経路でした。
京都市を始め復活させる目安として「3年後」とされているようです。
三条通りも再び、経路として復活できるよう取り組みとして進めたいようです。
ふむふむ

貴重な情報であり、復活して巡行経路として狭い三条通りを大きな山鉾が巡行する姿は見てみたいモノ

市内それぞれのと通りが大きな統一した下で特色ある通りに変化を遂げればより素敵で魅力ある街になるなぁ〜と、期待ある総会に参加でき感謝でした

ちなみに24日還幸祭当日、協議会主催のお祭りを伊右衛門サロン前で行われます〜

ラベル:京都市中京区