1945年8月9日 午前11時2分。
この日、この時刻から今年で65年目を迎えます。
今年の広島平和記念式典では65年目にして核保有国・アメリカ、イギリス、フランスが初めて参列しました。
特に、広島・長崎に原爆を落とした張本人・アメリカ合衆国が駐日大使を派遣したことは遅きに失した感は否めないも純粋に評価するべきでしょう。
報道によると…
・アメリカ国内では駐日大使が平和記念式典に出席したとはほぼ報道せず。
・アメリカ国務省高官は「オバマ大統領出席への先遣隊ではない。」と明言。
・国務省次官補はツイッターで「広島で我々が謝罪すべきことは何もない。」と。
・原爆を投下した爆撃機機長の息子は「謝罪に当たる」と不満と批判。
戦後65年を経過しても原爆投下の是非に関しアメリカ国内世論は肯定的な意見が半数を超えます。
それは、「第二次世界大戦を早期に終結させたのは原爆投下である。」
この意見が根強い一方、一般市民の多数の犠牲は国際条約から違法を弾ぜざるえない行為は明らか!
日米関係のなかで今も原爆投下は微妙な部分であることは確かです。
一方で、日本国も微妙な立場であることは間違いありません。
日本は世界で唯一の被爆国である一方で、アジア諸国への戦争では虐殺や略奪、強姦など負を背負っています。
日本が犯した代表として南京事件(または南京大虐殺)をよく取り上げられます。
1937年に日本軍が中華民国の首都・南京を占領。
その際に中国軍や一般市民を不法に虐殺したとされています。
残虐な行為があったことは市民や旧兵士の証言でほぼ行われたと推察します。
さらに、中国側は30万人以上と発表すれば、日本側では数万人から数千人と数字の開きがあり論争は続いています。
加えて、戦後閣僚からでっち上げ発言などでしばしば問題になり更迭されることも。
いずれにせよ戦争で何かしらの行為を行った国はその行為に関して「善」であることをことさら強調します。
またはその行為に関して極力程度を小さくしようともします。
一方で、その行為を受けた被害国は苦しみを忘れることはない!
これは足を踏んだ人は覚えてないが、踏まれた人は痛さ苦しさが蓄積されいつまでも覚えている。全く一緒の状況が国単位でも同じコトが言えるでしょう。
さらにその国の文化が重なります。
日本人はあっちこっちで「すみません。」「失礼します。」と無駄に謝る姿勢が身に付いています。
一方でアメリカ。何か事故や不手際でも自ら「ごめんなさい。」と謝ることは不利に作用する考えから、素直に謝ろうとはしません。
広島や長崎の原爆投下に関して、ハーグ国際条約で定められたことを自らエエように解釈を付けて市民が犠牲になったことを何とか整合性を付けています。
約14万人から15万人が命を失った広島への原爆投下。
65年経過しても“過ち”であることを認めようとしないアメリカ合衆国。
“過ち”を認められない国が主導権を握り、常任理事国として大きな顔して歩く。これほど滑稽な姿は他に類を見ないでしょう。
確かアメリカ合衆国の偉いさんは「人権」を盾にして世界各国の統治に関し批判を平気で行います。
「人権」を重視する国であれば、広島・長崎にて原爆を落とし命を失った一般市民の人権は大切にされないのでしょうか?
いやいや!人権を大切にしている国であれば、無視するはずがないです!
アメリカ人であろうが、日本人であろうが、各国の国民であろうが同じ一人の人間です。
過ちは謝罪をする。
小さな頃から親に言われます。
万国共通でしょう。
それ一つ出来ない国に未来はあるのか?(日本国も例外ではないが…)
「原爆で命を失ったことは素直に謝罪する。一方で、原爆投下により戦争を早期に終結させたことは間違いではない。」
この発言でまぁ〜るく収まりませんか?
今年、駐日大使が参列したことでオバマ大統領が広島を訪問する一歩が間違いなく踏み出されたことでしょう。
核無き世界に向けた演説でノーベル平和賞を受賞したオバマ大統領。
その本気度を示すにはまず、被爆都市広島・長崎を訪問し原爆の恐ろしさをオバマ大統領の目で、耳で、心で感じ取らなければノーベル平和賞が泣くことでしょう。
今、広島市はオリンピック開催地に向けて立候補を検討しています。
平和の祭典が開催されれば、各国首脳は広島市を訪問し原爆の恐ろしさを体感することでしょう。
「オリンピックが開催しているから、訪れた。」
ではなく、
「原爆の恐ろしさを知るために、訪れた。」
で、いち早くまだ広島・長崎を訪れていない各国首脳は訪問して頂きたいです。
東京から広島まで新幹線で約4時間強の距離。飛行機を利用して広島市内まで約2時間半から3時間ほど。
各国首脳級の皆さんへ…
「そんなに東京から遠い距離ですか?」
「お待ちしております。広島に
